東日本大震災の日は連日、残業・休日出勤が続いていたことから全員で代休を取得して、駅前にある築40年ほどのデパート最上階の焼き肉屋さんで、上司の定期異動に伴う歓送迎会をやっていました。
突然、強烈な揺れが数十秒も続き、デパートが崩壊するのではないかと感じるほどでした。
その後、上司が職場に出勤しようと言うので、駅前からタクシーに乗り職場に向かいました。
職場に戻ると上司が本部に全員出勤していることを報告し、待機することになりました。
この時から、私たちは事務所に泊まり込むことになりました。
数日後、本部要員の3名が福島原発の近くにあるJビレッジに災害派遣に行くとこが決まり、見送りに行くことになりました。
若い幹部1名と後輩2名が73式小型トラックで行くことになったのですが、後部座席は荷物と軽油の入った携行缶でいっぱいでした。
原発の状況が全くわからないなか、出発する同僚に対して、何とも言えない感情がありました。
それは、この3人はもう戻ってこないかもしれない、自分だったら・・・という複雑な感じです。
3名も「なぜ自分なのか」と考えたと思います。
ですが、使命感を持った3人は笑顔で出発しました。
見送る方も笑顔で手を振りながら見送りました。
私も笑顔だったかわかりませんが「戦地に出発する同僚を見送るときはこんな気分なんだろうな」と考えながら手を振りました。
あとから聞いた話ですが、福島県に着いて携帯電話が圏外になってしまい、ラジオも受信できなかったそうです。
情報が入ってこないことが、何よりも怖かったと言っていました。
また、原発から上がる煙を見て「気味が悪かった。あれが爆発したら死んじゃうんだろうな。」と言っていました。
3名は無事に帰隊したのですが、そのうちの2名は災害派遣が終了してしばらくしてから自衛隊を依願退職しました。
あれから4年経ちました。
復興か進まないという意見もあれば、あれだけの災害と原発事故でここまで復興できたという考えもあると思います。
私は当事者ではありませんが、何の罪もない住民が平穏な生活を奪われてしまうのは悲しいことだと思います。
行政がしっかりとして、はやく住民のための街作りが進むようになってくれたらと思います。